あれから30年
皆様もう既にご存知のように、今日であの阪神
淡路大震災から丁度30年となります。既にこ
のブログでも何度か触れていますが、もしあの
地震を知らない方々が目に触れる機会があれば
と思い記録に留めておきます。
発災当時、私は大阪の豊中のマンションにて震
度5を経験しました。前年までは同じく大阪の
守口市にある木造のいわゆる文化住宅と言うお
風呂も無いような家賃の安い所に住んでいまし
た。もし、そのまま住み続けていたら今頃どう
なっていたかは分かりませんが、コンクリート
のマンションに引っ越していたことは不幸中の
幸いだったのかもしれません。
発災の前日まで友人の会社が主催するスキー旅
行に行き、さあこれから仕事だと言う時に、い
きなり大きな揺れを感じました。
昔、芸能人がベッドに眠ったまま、急にスノー
モービルで引っ張り出されてゲレンデをベッド
のまま引きずり回されるドッキリがありました
が、正にそのどっきりを仕掛けられているのか?
と思うほどの揺れで目が覚め、同じマンション
の上の階では食器が戸棚から落ちて割れるよう
な音が聞こえていました。
やがて、それが地震と分かったのは、そのよう
な物音を聞いた時でした。しばらくの揺れに胸
の鼓動は収まらず、どうしたものかと思いまし
たが、揺れが止み取り合えず室内に干していた
スキーウェアの上着だけを着て外に出てみると、
同じマンションの住人の方々も外に出て来て、
お互いに自分の部屋がどうなった等の話だけし
て又自部の部屋に戻ったのを覚えています。幸
い私の部屋は無傷で何も被害は出ませんでした。
その後、テレビを点けたのかどうかさえ忘れま
したが、取り合えず仕事に行けるのか?電車は
動いているのか?と言うことを考えましたが通
勤で乗っていた阪急宝塚線は動いていませんで
した。
しかし丁度、前年に人生で初めての車を購入し
たばかりでしたので、その時は車で東淀川区に
ある事務所まで向かいました。しかし出勤でき
たのは事務所からほど近くに住んでいる者だけ
で、他の者は出勤もままなりません。丁度、私
は棟上げが済んだばかりの現場が気になってい
たのでお隣の吹田市にある現場まで足を運び無
事であったことを確認した所までは覚えていま
す。しかし、それ以外は何をしたのかさえ思い
出せません。
少し経って電車が動くようになると通過する駅
と駅の間の街並みがこれまでとは打って変わっ
て酷い状態になっていたのを覚えています。
更に半年後位に神戸に向かう電車の中から見た
街並みは、豊中で見たそれよりも、もっと酷く、
マンションの1階が全く姿を残さずに崩壊して
いたのです。1階が駐車場になっている、いわ
ゆるピロティー形式と言う建て方のマンション
でした。
私自身は地震の後に特に何かに貢献できた訳で
はありませんが、しかし震度5の恐ろしさは経
験しました。
そして昨年に引き続き、今年も、あちらこちら
で毎日のように小さな地震が繰り返しています。
何かの予兆でなければ良いと思いますが、住ま
いの耐震性を確保することの重要性は、年始の
目標にも掲げたように唱え続けようと思います。
コストを抑えた耐震改修の手法もマスターして
いますので心配な方は是非、ご相談いただけれ
ばと思います。