ゴッホ展に行ってきました
以前、ここを訪れたのは織田憲嗣氏の椅子コレクション展が開催されていた時ですので、数年経ちます。 京都市美術館、今回は新しいルートを試してみましたが意外に、こちらの方が早くて安いと言う事で、次から京都行きは亀岡まで車で、そこから電車と言うのが正解と言えそうですが、但し途中の道を考えると冬季を除く、と言う事になりそうです。
全部、車で行ったらどうなるのかは? ですが、学生時代に京都市内出身の下宿の隣人から言われた、「京都市内には車では行くな」の言葉が今も、二の足を踏ませるのですが、意外に平日だったために空いていたのではないか?と思いました。
さて、本題のゴッホ展、平日と言うのに人人人、午前中に入りお昼過ぎに出てきた頃には、入館するための行列が出来ていました。恐らく、人人人人人だった事と思います。
有名なヒマワリの展示はなく、自画像の展示が多かった事、売れるために描くべきか、そんな事は関係なく自分のスタイルを築き上げるのか、迷いに迷った一生だったのではないでしょうか?37歳と言う若さで一生を終えた彼のストイックさが伝わるものでもありました。
もう少しゆっくりと観たかったと言うのが正直な所ですが、仕方ありません。
そこそこに会場を後にして、近くにある、無隣庵を訪問してきました。
明治27~29年にかけて山県有朋が造営した別荘で、日露開戦前には伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎、山県有朋ら歴史に名を残す人物が寄って国外交方針を定める会議が開かれた場でもあるそうです。
茶室や庭は先ほどまでの美術館とは打って変わって静かで美しいと言える場所でした。
ここをウロウロしたのは学生時代だったか修行時代だったか忘れましたが、もうかなり前の事です。
建築の「け」の字も分らない頃の見え方と今では、少し物の見方が変わったのか、それを成長と呼べるのかは別にして、無意識に記憶に刷り込まれているディテールもあるようで、二度目の訪問ではあっても又新鮮な見学が出来た事と思います。
近場をウロウロするだけでも、京都市内の仕事は、より細やかさを要求される事が多いのだろうなあと感じた今回の訪問でした。
又、ゆっくり訪れよう。