無力と非情
東日本大震災から11年当時、
事務所で打合を終え、
いつも聴いているラジオから聞こえるのは
非常事態を伝える音声でした。
思わず点けたテレビから流れる
目にしたこともない光景に
「早く逃げて」と祈るばかりでした。
やがて変わり果てた街の様子が
流れるようになると、
自然の力の前では人は無力であることを
実感させられました。
奇しくも、この辺りでは本日、
午後6時頃に、いきなりの地鳴りと
共に震度3の揺れがありました。
そして今、ウクライナから毎日のように
流れてくる崩壊した建物の映像。
同じ崩壊と言っても、こちらは本来、
壊さなくても良かった人為的な行為です。
そして又、原発を狙い占拠する横暴、
福島原発で起こった出来事、
はたまたチェルノブイリで経験したはずの
出来事に学ばない独裁者。
情け容赦のない非情さは人の仕業とは思えません。
そして核を、ちらつかせ世界を脅かす
チンピラのようなやり方、
人の手でコントロール出来るとは思えないものを
使用しようものなら、きっと自然界からの
大きなしっぺ返しが来るに違いない。
広大な領土の大半で人が近寄れないエリアが
増え作物も取れなくなり、土地は荒れ、
まるで終末期のような世界を想像してしまいます。
新興宗教がかった発想かもしれませんが、
人は自然を超えられるとは思いませんし、
ましてやコントロールできるとも思いません。
権力を握った愚かな人間の行動が世界に与える恐怖、
それが許されて良いとは思いません。