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次の住まいは?

文化

さて本題の話を進めてみようと思います。大学の2回生になった頃、最初の下宿のおばちゃんから「もう直ぐしたらこの下宿、建て直すから、出て欲しい」と言う事を伝えられました。せっかくみんなと仲良くなれた頃に出たこの話に、少しショックを覚えたような記憶があります。

とにかく後が無くなった訳ですので、住む所を確保しなければいけません。どうやって探したのか、はっきりとは覚えていませんがおそらく不動産屋に飛び込んだと思います。

次は自炊もしなければいけなくなる訳で当然台所が必要です。色んな条件から図のような間取のいわゆる文化住宅に入る事になりました。

文化住宅と言う言葉は関東発生説、関西発生説、諸説あるようではっきりとはわかりませんし、関東と関西では同じ文化住宅と言えども少し捉え方、考え方が違うようなのですが、とにかくここではこれも文化住宅と表現します。

松下グループの御膝元にあるこの文化住宅は、下町と言うよりも、同じ様な建物ばかりが建ち並ぶまるで迷路の一角と言った場所でした。バブル最盛期には違法なミニ開発が進み、環境的には決して良いといえるものではありませんでした。

1、2階にそれぞれ4戸、計8戸分の同じ様な間取がある2階の一部屋に入る事にした訳ですが、本当に色んな人や家族が入居していていました。2階の階段を上がった直ぐの所には、この間取の中に家族4人がひしめき合って入居されていました。そして次の部屋は何やら恐い怪しげな御兄さんと御付き合いしているらしい女性、そして私の部屋、更に一番奥には後から入ってきた病がちな少し年配の方が住んでいます。そして1階のメンバーはよく分からなかったのですが1戸だけ、顔を合わせると訳の分からない事を唱える年配のおじさんが等が時々見かける事があったメンバーです。

住まいの間取は見て頂くとお分かりのように6畳、4畳半が雁行するように南北に並び(ベランダは南側です)に流し台スペース、そして一旦外に出てトイレと言った面白い部屋です。間取が雁行しているために、視線は自然と斜めに延びます、(図中の赤矢印)そのために実際のそれよりも随分と奥行きを感じます。

こんな環境の中、平穏な生活が送れた訳ではありません、色んなエピソードもある訳ですので又本編とは別に追ってお送り致します。